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ゆにじゅ~創設物語(中)~

これからの柔道の指導者や柔道クラブのあり方について、発達障害があってもなくても柔道ができる環境をつくるため、愛媛県四国中央市にて「ユニバーサル柔道アカデミー」(ゆにじゅ~)を設立した長野敏秀先生の事例をもとに考えます。

<目次>
ゆにじゅ~創設物語1~選手として柔道から学んだこと~
ゆにじゅ~創設物語2~指導者として危機に直面~(※今回)
ゆにじゅ~創設物語3~ゆにじゅ~の実践~

6.20年の指導者人生で感じた勝つことへの違和感

大学時代に柔道による成功体験と成長を経験させてもらった私は、「このような経験を子供達にもさせてやりたい」「私が学んだ柔道を教えることで恩返しをしていきたい」との思いを胸に、当時、指導者として活躍されている先輩方を手本として、公務員で柔道指導者という道を目指し、運よく地元の市役所に就職させてもえることとなり、そこから、少年柔道を中心に、地元の中学校・高校の外部コーチ、松山大学柔道部コーチなどもあわせて、約20年間はプライベートの時間のほとんどを柔道に捧げてきたといっても過言ではありません。

ただ、それは自らが好んでやっていることでしたので、苦痛だと感じることもなく、柔道に貢献させてもらえるやりがい、そして教え子の成長や成果などなど、公務員生活のみでは味わうことのできないたくさんの経験をさせてもらうことで、忙しくも充実した毎日を送ってきました。

また、同世代の熱心な指導者が集まったこと、少年柔道には珍しい後援会の後押しがあったこと、そして保護者の温かい協力も得て、いつしかチームは愛媛県で団体優勝を争うような力をつけ、指導者をはじめて約10年目には、当時日本一にもなったことのある強豪チームに勝利し、愛媛県で優勝を勝ち取ることができました。その後も安定した力を継続し、団体では、全国少年柔道大会やマルちゃん杯全国選抜少年柔道大会でベスト8、個人では、全国小学生学年別柔道大会で2名の優勝者をはじめ、入賞者を多数輩出するなど、指導者としてのキャリアを確実に積み重ね、団体での全国制覇もそう遠くない夢として描くことができる状況でしたので、その当時の少年柔道の指導者としては、非常に幸せな人生を歩んでいる一人であったのではないかと思います。ただ、そんな状況においても、私にはいくつかの違和感がありました。

多くの選手が輝かしい成果を収めるようになり、団体での「全国制覇」を遠くない夢として描きはじめることができるようになった一方で、その環境に馴染めず辞めていく子ども達が増え始めるのです。今思えば、特に発達に特性のあるお子さんに対して、知識が浅く厳しい柔道を押し付け傷つけてしまっていたり、特性に気づいていてもどのように指導すればよいかわからず、結局続けさせてあげられなかったり、道場内での威圧的な指導に対しても見て見ぬふりをしてしまったり、そして、我が子が柔道を楽しめてなかったりと、理想としていた「強いチーム」=「いいチーム」「いい指導」ではないのではないかと違和感を感じ始めるのです。

7.必ずしも幸せな人生を歩んでいない教え子たち

また、好成績を収めた教え子の中には、後に学校で問題行動を起こしたり、高校を退学になったり、全国大会に出場した選手であっても、あっさりと柔道を辞めたり、過度な練習が原因かと思われるケガで選手生命を縮めたりと、必ずしも幸せな人生を歩んでいない現実がありました。ある教え子からは「柔道は嫌いでたまらなかった!」との言葉も聞き、私の柔道指導は果たしてこれでいいのか・・・と疑問を強めることになるのです。

時を同じくして、いろいろなことが自分自身にも降りかかります。まずは、全日本柔道連盟の不正やナショナルチームにおけるパワハラ、その他にもセクハラなど、世間では当たり前となってきた常識が非常識な柔道界の体質の報道に対し、大切な柔道の価値がとても低く落ちてしまったような悲しさとともに、私の違和感は正しかったのではないかという思いが強くなります。そして、これまでの指導は、実はそれらを助長していたのではないかと思うようになったのです。多くを学ぼうとせず、これまでの経験から「柔道はこうあるべき!」と子供達に押し付けている自分に気づいてからは、自身の指導を変えたい!と強く思うようになり、さまざまな研修会への参加や情報の収集などで学び始める自分がいました。学べば学ぶほど、より課題が見え悩みが増えるんです。

当時の一番の悩みは、これまで自分達が行ってきた指導に疑問を感じつつも、他の指導者に理解してもらえるように伝えることができないこと、そんな自分への苛立ちや変えることができないもどかしさを募らせながら道場に立つ日々が続くなか、極めつけは、小さい頃から「いい子ですね。この子はまったく問題ないですよ!」と言われてきた娘たちの不登校でした。不登校の原因と言われるものは様々ですが、彼女にとって少なくとももっと必要だったのは、特に幼い頃のたくさんの親からの愛情と安心ではないかと思うんです。

多くの柔道指導者が、同じような環境にいるかもしれませんが、私の場合、週に3回は柔道指導で家を空け、土日も大会や遠征、審判などで家に居ないうえ、練習のない日には、職場のお酒好きな仲間や柔道仲間、気の合う保護者と飲み歩く日が多く、家族で過ごす時間は本当に僅かでしたね。それを象徴する当時のエピソードとして、「お父さんのお仕事は?」と幼稚園の先生に聞かれた長女は「飲み会と柔道」と本気?で応えたんです。当時は、それを笑ってましたし、それだけ柔道や付き合いに時間を費やしていることに誇りさえ感じていましたが、今思えば浅はかな自分だったなぁ・・・と思うのです。

しかも、それを頭では理解しようとしても理解しきれない妻とよく子供達の前で口論していました。理不尽な言い訳を並べて論破するその姿は、子ども達にとって良い影響なわけがありませんよね。今、仕事でも不登校についての勉強をする機会がよくありますが、この頃の夫婦関係や親子関係が、子ども達の心や脳に与える影響は大きく、特に思春期の自分探しの旅が始まった頃に、不登校という形として現れることが多いようです。その頃は、学校や周りに責任を転嫁していましたが、様々な学びを重ねてきた今・・・実は、私が大きな原因なのではないだろうかと思うのです。

8.NLPとの出会いで、自分が変化し柔道の見方も変化した!

「娘の人生は、これからはどうなるのか」「この状態はいつまで続くのか」毎日、青白い顔で布団に包まっている娘にかける言葉はなかなか見つからず、妻と悶々とした日々を過ごしながら「娘をこんな状態にしてしまたのは、いったい何なのか・・・」「我々も被害者だ!」と犯人捜しのような・・・そんな日々が続きました。特に学校や教育に対しては批判的な思いが募り「学校に任せててもダメだ!」「私がなんとかできないか?」「そうだ!私がカウンセリングできるようになればいいんだ!」と、他人からみればとてもバカげたことなのかもしれませんが、でも、あの時は本気でそう思い、強い意志を持って、このバカげた挑戦への一歩を踏み出したのです。今思えば、娘たちの不登校がなければこの行動を起こすこともなく、今の学びには無かったんだろうなぁ・・・と思います。

インターネットであれこれ探してみると、コミュニケーションやコーチング、カウンセリングなどのスキルが高まり、心理学が進んでいる欧米で広く活用されているという「NLP」という心理学にたどり着くのです。これをマスターすれば、娘のカウンセリングや柔道のコーチング、家族や職場、仲間とのコミュニケーションに役立つのではないかと考え、自分への投資、家族や柔道への投資だと割り切り、バカげた挑戦を始めることにしました。

少し紹介すると、NLPはNeuro-Linguisuic Programmingの頭文字をとったもので、「神経言語プログラミング」と訳され、1970年代にアメリカの近代心理学セラピストであるリチャード・バンドラーと、同じくアメリカの言語学者のジョン・グリンダ―の二人の創始者によってはじめられたものです。当時の心理療法にはさまざまな流派があり、多くの心理療法は、患者がなぜ問題を抱えてしまうのか、患者の問題をさぐることに焦点をあてていたのに対し、この二人は、心理療法家(セラピスト)に焦点をあて、ゲシュタルト療法のフリッツ・パールズ、家族療法のバージニア・サティア、催眠療法のミルトン・エリクソンといった卓越した成果をあげていた3人の心理療法家を研究し、言葉の使い方などを誰でも使えるように体系化したのです。

NLPは分野を広げて発展し、心理療法の場面に限らず、日常生活や社会の場面でも使うことができ、アメリカ大統領、プロスポーツ選手、経営者といった人たちもNLPを活用して成果をあげています。心理的に苦しんでいる人にも、社会の一線で活躍している人にも、その間の人にも使えるものなのです。

NLPのNeuroは「神経」のことで、つまり「五感」のことです。人は、視覚・聴覚・身体感覚・嗅覚・味覚といった五感を通して出来事を体感します。Linguisticは「言語」のことです。人は、五感を通して得られた情報を言語によって思考し、意味づけしコミュニケーションします。そしてProgrammingは「プログラミング」。思考や行動パターンのことです。人の脳は、コンピューターと似ていて、プログラミングされたとおりに動きます。逆に言えば、望む結果を得られるようプログラミングは変えることができるというのが、NLPの考え方です。

例えば、道場で指導者が「もっとしっかりやれ!」と言った時、選手の目の前には、指導者がいるのが見え(視覚)、指導者の言葉を耳にしています(聴覚)。これがNeuro(神経)で、この体験を「また怒られた・・・」などと意味づけし、「すみません・・・」などの言葉にします。これがLinguistic(言語)で、このとき「私は何をやってもダメ・・・」という思考のパターンがProgramming(プログラミング)ですが、このプログラミングは変えられる!ということなのです。

ちなみに、みなさんは「柔道指導」をどのようにプログラミングしていますか?私は、今も変わらないプログラミングもありますが、私が学生時代に柔道で経験した成功体験をバックボーンに、「私を成長させてくれた柔道に、指導者として恩返しすること!」「人は、厳しさを乗り越えることで成長する!だから、柔道を通じて厳しさを経験させ、それを乗り越えさせるようにしていくのが子供達に必要な指導だ!」とか、「やる気がない子どもには柔道で厳しさを体感させ、私が間違ってました!と思わせることが大事なんだ!」とか、「勝利という結果を手に入れることで、人として立派になっていくんだ!結果を残す選手=良い人間なんだ!」「柔道の厳しさから逃げる子は、何をやってもダメだ!」などといったプログラミングをし、そんなことを道場にくる子供達やその保護者に強く熱く語っている自分がいました。そしてもう一つ、前述のとおり「柔道は大切なものだけど、大好きなものではない!」ということが、幼い頃の体験を通じて書き込まれていたのです。

今、選手たちとミスマッチ起こっていませんか?その選手を「先生の言うことをきかない選手!」として敬遠したり、時には無視したり、必要以上に怒ったりしていませんか?実は私はそうしていた一人でした。先生の言うことに、即座に「はい!」と言う選手がいい選手!厳しいことに耐えるのがいい選手!言われたことを確実にこなすのがいい選手!・・・確かにそれらも大事なことではあるとは思います。

しかし、NLPを学びコミュニケーションの基本は「違うことを受け入れ、認めること」「相手は変えられない、変えられるのは自分」「相手を受け入れるためには、まず自分自身を受け入れること」「自分のことを受け入れられて初めて、相手を受け入れる隙間ができる」ということ、「どんな素晴らしい言葉であっても、そこに信頼関係が結ばれていなければ心に響かない」ということが腑に落ちてからは、これまでの考え方を根本から見直さないといけない!と強く思うようになりましたね。

そこからは、指導者の理想を押し付けたり、経験のみに頼って行う一方通行の指導ではなく、選手が分からないのは指導者の指導力が不足しているということ、「柔道はこうあるべき!」という固定概念に捉われ、選手を柔道の枠に縛り付けるのではなく、選手とコミュニケーションをとり、信頼の架け橋をかけていくことに力を注ぎ、その選手の考え方や価値観の理解につとめることで、「柔道は、この選手の成長にどのように貢献できるか、どのように寄り添う必要があるのか!」という視点を中心に置くように心がけるようにしました。

その結果、今まで大切だと思ってきた体育会系の上下関係を疑うことにもなり、いかに選手と目線を合わせられるか、時には友達になれるか、一緒に遊べるかなど、多くの視点を持つことができるようになったのではないかと思います。正論の前に相手の価値観を受け入れ良好な関係を気づく、それが前提にあれば、柔道でも家庭でも、良好なコミュニケーションが広がるっていうことなんですよね。

それに気づくことで、選手だけではなく、家族とのコミュニケーションも少しずつ変化し、娘も回復に向かい始めるんです。病院のカウンセリングにも通うことができるようになり、そこでの「親プログラム」という同世代の不登校の子を抱える親の学びの機会で、具体的な親子のコミュニケーションを学ぶことができたのも大きかったですね。「親が変われば子供が変わる」とはよく言ったものですが、私の対応が変わることで、それからの娘たちの状況は明らかに変わってきましたね。

このような実体験を通じ、「これから私は何のために柔道をするのか?」を問い直したとき、「もっと人々を幸せにする柔道をしたい」と決意を新たにし、その為には何を目指すのかを考えた結果、「道場をみんなの居場所にすること」「道場が、人々の困りごとが解消されるような環境にすること」それが「障がいの有無にかかわらず誰もが柔道に親しむことができる環境」であり「柔道のユニバーサルデザイン化である」との考えにたどり着くのです。

ただ、これは私の価値観であり、同じような経験をしているわけではない道場の指導者に理解をしてもらうのは非常に困難であると見極め、自らの責任でその環境を実現するため、既存の柔道会を退会し、賛同してくれる新たな仲間たちと一緒に、平成27年9月に「ユニバーサル柔道アカデミー」を設立することになります。

ちなみに、娘は今20歳と18歳で、まだまだ不安定な時期もありますが、あの頃からは想像もできないパワーで、それぞれの夢に向かって歩みを進めています。これからも、彼女たちにとっての安心基地であり、自立に向けたサポーターでありたいと思っています。

9.柔道は人間教育!柔道でどのような人を育てていくのか

「柔道は人間教育!」とよく言いますが、私達指導者は、柔道を通じてどのような人間教育をしていく必要があるのでしょうか?私なりの答えは「社会で生き抜くための力を身につけさせること」です。では、これから子供達が生きていく社会とはどのような社会なのでしょうか。

元リクルート営業本部長で、日本で初めて民間から中学校長となった藤原和博氏は、日本の社会をこのように捉えています。日本経済は、バブルが弾けて以降、それまでの成長期から成熟期に移行していて、世の中の価値観は「みんな一緒」から「それぞれ一人ひとり」に。自宅に一つだった固定電話は、それぞれが持つ携帯電話に変わり、引き出物も高級皿から好みで選ぶことができるカタログに、大量生産からオリジナル商品へと様々なものが、早いスピードで変化しています。更には、テクノロジーの進歩により、銀行のATMや駅の改札、コンビニやスーパー、飲食店での無人レジなど多くの仕事がコンピューターに取って替わられていますが、今後は更に、AIが様々な役割を担うため、将来を担う子供たちの教育も大きく変わろうとしています。

藤原氏によれば、これまでの教育は「情報処理力」。つまり、正解をいかに早く導くことができるか!という力。一方、これから必要なのは「情報編集力」。つまり、人々の価値観が多様化し正解が一つではなくなる時代には、それまでの知識や経験をフル活用し、時には他人の考え方をもつなぎ新たな創造をするなど、最終的に自分も周りも納得させられる「納得解」を導き出すことができる力が必要であると述べています。

繰り返しになりますが柔道は「人間教育!」です。これまでの柔道は、高度経済成長の時代背景がベースになっており、その時代をそして経済を支える為に必要な人間教育に、いわゆる体育会系の厳しい柔道がマッチしていたのだと思うのです。しかし、時代は変化し社会に求められる人材も変化しており、日本の教育も新たな学習指導要領の改訂により変革の時代を迎えています。知識を詰め込む「認知脳力」を高める教育から、主体的に学び、気づき、学んだ知識をどのように活かすかなど「非認知脳力」を高める教育へとシフトチェンジを図っています。そのような中、柔道はこれまでのままでよいのでしょうか。私達指導者の悩みは、選手とのミスマッチもさることながら、この時代とのミスマッチを解消できないところに原因があるとも思えるのです。

柔道には「精力最善活用」「自他融和共栄」という理念があります。そもそもこの理念こそが、これから求められる人間教育であり、やっと時代が柔道に追いついたのではないかとも思うほどです。指導者はこれまでの経験で得た「知識」をただ教えるだけではなく、選手達が自ら考えたり、失敗を恐れず挑戦したり、そこで得た経験をどのように活かすかを考えたりできるような指導が求められているのではないのかと考えます。また、柔道は200以上もの国や地域に広がっている世界最大のコミュニケーションツールでもあります、柔道を通じて異文化の多様な価値観を受け入れ、多くの人達が納得できる「納得解」を導き出すような指導を多くの指導者が心がけることで、柔道が共生社会の実現(インクルージョン)に大きく役立つことができるとも思うのです。

つまり、これからより求められる教育こそが、柔道が本来やろうとしていた教育であり、そこには「精力最善活用・自他融和共栄」の理念があります。「精力最善活用」は、まさにこの「情報編集力」を身につけるために必要とされる考え方であり、「自他融和共栄」は、「それぞれ一人ひとり」の個性を尊重し、認め合い譲り合うことで実現される繁栄であり、平和な社会の実現であると思うのです。今まさに、時代が本来の柔道を求めています。柔道が、社会に更に大きな役割を担う時代が訪れてきたのです。そんな可能性を創造しながら、今自分ができる活動を通じて柔道の可能性を精一杯広げていきたいと思うのです。

さて、そのような時代背景や私自身のこれまでの反省から、ユニバーサル柔道アカデミー(以下「ゆにじゅ~」)を運営していくにあたっては、私の中にいくつかのテーマを設けコンセプトを掲げました。

1つ目は、競技に偏重し見えなくなっていた「勝つこと」以外の柔道本来の価値を見出すため「勝つことを一旦止める!」ということ。つまり、勝つことの優先順位をグッと下げ、それ以外の子供達の良さや柔道の良さにもっと気づけるようにする!ということ。

2つ目には、これまでの柔道にはなかった視点を取り入れて、「柔道×○○」で子供たちの感性を磨き心身の成長を促すこと。

そして、3つ目に、発達に特性を持つ子供が一緒に「楽しく」柔道できる環境を目指すことで「インクルーシブな柔道環境」を普及するということです。

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