第2回 脳(神経)に対する運動の効果

脳に対する運動の効果を知る理由

それでは、第1層、運動が神経(脳)に与える影響についてみていきますが、改めて、なぜ運動が脳に与える影響を知る必要があるか、という点にふれます。

これはもちろん発達障害に対して運動はどういう効果があるのか、を知ることにつながりますが、さらには、なぜ柔道やスポーツが教育として効果があるのか、どんな効果があるのか、という問いと密接に関係します。例えば、柔道の場合、その技術そのものを実社会に利用する機会があるのは、警察官や自衛官など、人と格闘するケースです。治安のいい日本に住んでいる限り、格闘技術を使うシーンは滅多にないですし、セルフディフェンスのためであれば別の方法もある。教育である理由は、身体が頑丈になるなど、その技術を得る過程で何らかの教育的な効果があるからですが、では、運動は、身体面のほか、精神面に対し、どのような効果があるのでしょうか。人間教育と言われる柔道は精神面に対して何らかのいい効果があるという意味ですが、具体的にどのような効果があるでしょうか。

運動が身体、精神どちらにもいい効果があることは、誰しもが経験的に知っていることです。しかし、科学的にそのメカニズムが明らかになってきたはここ十数年のことであり、それは、運動が脳に与える効果、脳を媒介にした精神に対する影響が分かってきたことでした。したがって、今後、柔道やスポーツの教育的な価値や効果を考えるにあたって、運動の脳に対する影響を知ることは不可欠となります。これまで経験的にしか「運動はいい」と言えなかったものが、メカニズムを説明することができ、メカニズムを知ることができれば、どうやって運動を生活に活用していいか、分かるようになるのです。

キーワードは「文武両道」です。なぜ文と武、どちらも必要なのか、その理由が脳に対する運動の効果を知ることで明らかになります。以下、脳のメカニズムに触れますが、脳の詳細なメカニズムを正確に伝えることはこの記事の目的ではなく、柔道やスポーツの指導者が運動指導するうえで有益な部分が伝えれば十分なので、できるだけ専門用語を使わず、イメージしやすいよう単純化して話していきます。詳しく知りたい方は、ジョン・J・レイティ「脳を鍛えるには運動しかない」(NHK出版)をご覧ください。

脳のメカニズムと運動

まず、脳がどのように情報を処理しているのでしょうか。

簡単にいうと、脳細胞(ニューロン)と脳細胞(ニューロン)がつながって(枝のようなもの)で、そのネットワークに電気信号が流れることで情報が処理されていきます。そのニューロンとニューロンのつなぎ目の部分をシナプスといいます。したがって、新しい単語を覚える、新しい仕事を覚える、新しい考え方をする、新しい動きができる、そういった人間の学習は、新しいネットワークをつくってそこに電気信号が流れていくことで可能になります。

それでは運動はこの脳のメカニズムについて、どのような影響があるのでしょうか。

まず大前提として、ここで脳にいい効果がある運動とは、心拍数が上がって、ハアハアゼイゼイいうような運動、有酸素運動のことを指しています。例えば、テレビゲームをするとき指をたくさん使っており、これも一種の運動であり、またストレッチも一種の運動ですが、脳に最も効果がある運動は心拍数が上がる全身を使った運動です。以下の運動の効果は有酸素運動を前提にしています。

第一に、運動すると、脳の栄養が生まれるということが分かってきました(BDNFなど)。

ニューロンとニューロンが新しくつながったり、作ったネットワークを維持するためには栄養が必要です。そのための栄養をたくさん生み出すのが運動だということが分かってきました。私たちは「運動すると疲れる」「エネルギーが減少する」というイメージをもっていますが、むしろ運動は脳のエネルギーをチャージしている。認知機能が低下していく認知症はこの栄養(BDNF)が何からの原因で少なくなっていくからではない、ということが言われています。。

第二に、運動すると、新しく脳細胞が生まれるということが分かってきました(海馬などの領域で)。

これは十数年前に明らかになったのですが、脳の研究の歴史では、100年近く続いた、ニューロンは増えない、という定説がひっくりかえった大発見だったそうです。

第三に、運動すると、脳のネットワークを流れる電気信号の伝達がスムーズになるなどの効果です。

ニューロンとニューロンがつながり、そこに電気信号が流れることで脳は機能しているのですが、そのつなぎ目の部分(シナプス)には隙間があります。いわば川があって、向こう岸にいくには渡し船に乗らないといけない、渡し船が電気信号を向こう岸に運んでいるわけですが、その渡し船の役割をしているものを神経伝達物質と言います。この電気信号を運んでいる渡し船が途中で沈没したり、スピードが遅かったり、目的地とは違うところに到着したりすると、電気信号がうまくネットワークを通ることができず、脳がうまく機能しないわけです。この渡し船に関する神経伝達物質はたくさんあるのですが、最も重要なのは、セロトニン、ドーパミン、ノルアドレナリンといわれるモノアミン系神経伝達物質です。

運動は、セロトニン、ドーパミン、ノルアドレナリンをよりよい状態にすることが分かってきました。イメージでいうと、運動すると、ボロボロだった渡し船が最新鋭の渡し船(または飛行機)に大変身し、電気信号の流れが格段によくなるわけです。

運動する前は落ち込みがちで不安でモヤモヤしていたけど、運動したら、スッキリして、気分がよくなり、頭がよく回転するようになった、という経験をお持ちの方は多いと思います。そのとき脳の中で何が起きていたかというと、あくまでイメージですが、電気信号を運ぶ渡し船が最新のものに変化して、脳細胞のネットワークを流れる電気信号の流れが格段に良くなったのです。

運動の一般的な効果

このように運動は脳のメカニズムを改善する効果があり、脳機能を全般的に向上させるのですが、具体的にはどのような効果があるのでしょうか。

まず学力などの認知能力について。

ある研究では、運動してから勉強するクラスと、運動しないで勉強するクラスでは成績の伸び率が違う、という報告がされてます。また、体力テストの点数が高い生徒は学力が高い傾向にある、という相関関係も指摘されています。運動すると、新しい脳細胞が生まれ、栄養が生まれるので、脳細胞のネットワークが形成されやすい状態にあります。このように脳がいい状態にあるとき、勉強でも仕事でも、新しいことを学ぶとよりよく学ぶことができる、学習効率が高くなります。「文武両道」がなぜ必要なのか、理解できると思います。あるアメリカの学校で、体育の先生の役割は「生徒の頭の中に脳細胞をつくること」、数学や理科など知育の先生の役割は「新しく生まれた脳細胞をつなげること」というそうです。

次に、気分、意欲、自尊心など、非認知面への効果について。

運動すると、電気信号の運び手(渡し船)がパワーアップし、脳細胞のネットワークがよりよく機能するようになることから、不安や焦燥感が減り、意欲、自尊心、集中力、創造性などが向上します。例えば、意欲が著しく減退するなどの症状があるうつ病ですが、運動は抗うつ剤と同じ効果があるという研究があります。抗うつ剤はセロトニンの量を増やす薬ですが、先述したとおり、運動はセロトニンに働きかけるわけです。そのほか精神疾患全般に対して運動は薬と同じような効果があるのではないか、ということが指摘されています。

運動の効果は対人関係にも及びます。

ケンカがたくさんあったある小学校で毎日運動するようにしたらケンカが半分以下に減ったそうです。いつもケンカばかりしていた夫婦が、お互い運動をはじめたらケンカが大きく減ったという話も聞きます。運動で脳の機能を向上すると、対人関係もスムーズになっていくのです。

このように、運動をしたら、不安や焦燥感が減り、マイナス思考から脱却、気分がよくなって、意欲と自尊心が上がって積極的になって、人との関係もよりよくなり、様々なことがよりよく学べるようになる。このような効果が発達障害のある子ども達に必要であることは明らかだと思います。

発達障害と運動

それでは、発達障害に対する運動の効果はどのようなものでしょうか。

まず注意欠陥・多動性障害(ADHD)について。

DHDの症状を抑えるコンサータなどの薬は、ドーパミンやノルアドレナリンの量を増やす作用を持ちますが、先にみたように、運動はこれらの神経伝達物質を適切にする効果があります。実際、ADHDの症状が運動によって改善されることが様々な研究で示されています。

運動することで注意力や集中力が向上し、やらなければいけないことを先延ばしにするなどが減り、自分が思った通りに行動する力が高まります。多くの優秀なビジネスマンが運動する習慣があって、様々なビジネス書が運動を進めることも、運動がもつこういった注意力、集中力などを高めているからです。

次に自閉症スペクトラム障害について。

マウスに対する実験で、まだ人に対するものとして認められたものではありませんが、最近、運動は不要な脳のネットワークを削除する(シナプスの刈り込み)効果がある、ということが分かってきました。すなわち、人は生まれてからたくさんの脳のネットワークを形成して、その後、不要なネットワーク、使わないネットワークを削除していく作業を行なっています。不要なネットワークがあると、脳がうまく機能しないからです。この使わないネットワークを削除することをシナプスの刈り込みといいます。最近、自閉症スペクトラムの症状は、このシナプスの刈り込みが不十分であるために生じるのではないか、という指摘がされていました。シナプスの刈り込みが不十分であり、余分なネットワークがあるから自閉症の症状が生じるのでないか、というものですが、最近、運動にはこの不要なネットワークを削除する効果があることが分かりました。

最後に、発達障害ではありませんが、うつ病について、運動はうつ病を予防し、かつ治療する効果があることが明らかになってきています。発達障害があるとそれに起因して二次障害になることが多いということが指摘されており、その代表的なものがうつ病です。発達障害があるゆえに仕事や対人関係がうまくいかず、うつ病にり患するということがあるわけですが、運動習慣があることでこれを避けることができます。

まとめ

以上、運動が脳(中枢神経)に与える影響をざっとみてきました。

運動で神経を改善することができたら(第1層)、身体(第2層)、対人関係(第3層)、すべてがよりよくなっていきます。まさに万能薬のような効果があるわけです。このように脳のメカニズムを運動で改善できることを知ると、柔道・スポーツの指導者が何をなすべきかも見えてくると思います。発達障害の子どもたちは発達・成長するために運動を切実に必要としています。それを届けることができるのは、柔道やスポーツの指導者なのです。

なお、運動と脳についての詳細は、脳神経学者ジョン・レイティ博士の「脳を鍛えるには運動しかない」(NHK出版)をご覧ください。

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

PAGE TOP